源義経の刀

源義経はの日本刀として有名な薄緑があります。源義経は、は河内源氏の源義朝の九男として生まれました。幼名を牛若丸(うしわかまる)と呼ばれていて歴史上でも有名である。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられた。後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受けた。兄の頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに協力して、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼした最大の功労者となった。

髭切を持つ頼朝、薄緑を持つ義経によって源平合戦に勝利したのち、義経は兄である頼朝に追われることとなる。そして、義経の死後、薄緑は頼朝の手に渡った。 皮肉にも、そこでかつての兄弟刀が一つの場所に戻ることとなった。現在、薄緑の所在は不明である。

馬術に優れ、一ノ谷の戦いでの鵯越、壇ノ浦の戦いでの八そう飛びなど、常人離れした武勇伝を残し、そして散った源義経。兄・頼朝と共に戦い、兄・頼朝に追われる身となった悲劇の武将である。 その義経が、最期の自刃に使ったとされるのが、短万「今剣」だ。作者は、平安時代、山城固(京都府南部)三条に住んでいた三条宗近。もともとは、祈願のために鞍馬寺を訪れた宗近が奉納していったもので、六尺五寸の大太刀だった。その後、幼少の義経を養育してきた鞍馬寺の別当・東光坊蓮忍が今剣と命名し、 「守り刀」として義経に与えたとされるが、伝えられている今剣は短刀である。幼少のころ、もしくは武芸の稽古をしていた青年のころに、義経があやまって折ってし まったという説もあるが、今剣は現存せず、調べようもない。