尊氏の名刀

足利尊氏は、歴史上有名であるが、鎌倉倒幕を計画して隠岐に流された後醍醐天皇が再び挙兵するのに応じた倒幕の立役者とされるのが、新田義貞です。 義貞率いる討幕軍は、鎌倉攻めの際、海岸沿いからの攻撃をしたが、海の満ちた潮により、行く手を臨まれた。そこで義貞は、この稲村ヶ崎の海岸で、祈りをささげて海の神に剣を捧げた。するとみるみる潮が引き、鎌倉へと続く道が現れたと言われています。 実は、これは義貞は、潮が引く日時を元々知っていて計算したうえで、剣を奉納して祈りを捧げたのである。軍の指揮を上げるためにわざとあたかも神の意思で鎌倉への道がひらかれたかのように演出したらしい。 これにより義貞は、執権・北条氏を滅ぼすことができたと言われています。この時の海の神に奉納された剣の行方は残念ながらわからずじまいである。新田義貞と同じく足利尊氏は討幕軍についていました。しかし天皇・貴族を中心とし、倒幕の立役者ともいえる武士を軽んじた建武の親政に次第に不満を抱くようになっていきました。そしていよいよ我慢の限界がきて鎌倉で兵を集め、後醍醐天皇を討つために京都に攻め入りました。苦戦を強いられる中、尊氏の助けとなったのが、豊後国(大分県)の守護・大友貞宗でした。 尊氏の愛刀「骨喰藤四郎」は、当時、この大友氏から献上されたものです。「骨喰」とは、斬るふりをしただけで骨まで砕けてしまうという意味で、斬れ味の 鋭い剛刀に付けられた異名です。「骨喰藤四郎」は京都で活躍した栗田口一門を代表する刀匠・栗田口吉光の鍛えた薙刀で、のちに磨り上げられて太刀に姿を変えている。  源頼朝から大友貞宗へ、そして尊氏に献上され、その後、足利家の宝として伝えられてきました。その後、再び大友家に3000両で買い戻され、 この日本刀は渡り歩くこととなった。 現在は、重要文化財に指定され、京都国立博物館に寄託されてます。