斎藤道三の槍

戦国大名・斎藤道三は、自分をとりたててくれた人物を毒殺して家を乗っ取ったといわれています。主君を追い出すことで勢力を広げた下克上の雄として知られ、そのえげつないやり方から、「美濃の腹」と呼ばれた。その一方で、美濃国(岐阜県南部)でも屈指の槍の使い手としても知られています。道三は、若いころに各地を放浪し、幾多の合戦を見てきた中で学んだのは、槍の有用性だ った。そこで槍の猛稽古を始めた。まずは、 3mはあろうかと思われる竹竿の先に太い針を縛りつけ、稽古用の槍を作った。そして、糸で結んだ一文銭を軒先から吊り下げて左右に揺らし、一文銭の四角い穴めがけて槍を突く。来る日も来る日も朝から晩までこの稽古を続け、やがて道三の槍は、百発百中で一文銭の穴を突き抜くようになった。 当時、合戦でもっとも多くの兵を殺傷したのは弓矢だといわれるが、遠くから射た矢で大将を倒したのでは、首級が取れない。その点、槍は、遠距離から敵を突き、薙ぎ払い、倒したその場で懐の刀を使って首を取ることができる。 。 戦場に出れば敵の死体が道三の前に山を成し、この武勲によって、世に名を知らしめることにつながったともいわれている。 また道三は、自分の槍をとても大切に扱っていた。長さのある槍は、軒下に置いておくのが普通だったが、湿気で腐ったり錆びたりしないよう、節をくり貫いた竹 に入れ、布袋に包んでから軒下で保管していた。この話を聞いた領主は、道三の心掛けをたいそう褒め讃えたという。