黒漆大刀

坂上田村麻呂は天平宝字2年(758年)に坂上苅田麻呂の次男三男として生まれた。田村麻呂は近衛府に勤仕した。豪壮な武人の坂上田村麻呂は、平安時代の武官で、蝦夷征討については、 「武力で一時的に治めることはできる。しかし、しばらくすると再び反乱は起きる。蝦夷の民衆の文化や生活を、我々と同じくしていくことが大切である」 と進言し、実際、蝦夷の民衆に優しく接し、とらえた二人の首領の処刑を最後まで反対したともいわれる。この坂上田村麻呂の佩刀の「黒漆大刀」は、堅牢で強園、豪壮な武人が持つにふさわしい日本刀である。坂上田村麻呂の御剣には、「坂上宝剣」、大刀「騒速」、大刀「黒漆剣」などがあります。

刀身に反りのない直刀で、古墳時代から続く古い姿をしている。「たち」とはいうが、反りのある「太刀」ではないことは、「黒漆大刀」の字を見ればわかる。 坂上田村麻呂の死後、黒漆大刀は天皇家に所蔵され、雷が鳴ると、ひとりでに鞘から抜けるとか、国に大事があるとカタカタと揺れるなどという噂が流れた。