蛍丸

「蛍丸(ほたるまる)」は、南北朝時代に、南朝方として戦った肥後(ひご)国(熊本県)の武将・阿蘇惟澄(あそこれずみ)の愛刀だった。作者は鎌倉時代後期、山城国(京都府南部)で活躍した刀匠・来国俊(らいくにとし)。刀身三尺三寸四分五厘(約101cm)の大太刀である。建武(けんむ)三年 (1336) 、本州で敗退し、巻き返しを図って九州上陸を目指す足利尊氏(あしかがたかうじ)を、惟澄らが迎え撃った。しかし、尊氏の猛攻の前に敗走する。このときの戦い で惟澄が振るったのが、後に蛍丸と呼ばれた大太刀だった。激しい戦いで、刃こぼれだらけの大太刀を持って、なんとか阿蘇の居館にたどり着いた。その晩、惟澄は何百匹もの蛍が疵だらけの大太刀に集まる夢を見た。淡く青白い 光が愛刀を取り囲み、光っては消える。 目を覚ました惟澄が、太刀を鞘から抜いてみると、なんと刀身の疵がきれいになくなっているではないか。この不思議な出来事により、この刀は蛍丸とよばれるようになったといわれている。

 

また、別の逸話もある。

どういう経緯をたどったか、蛍丸は高千穂(たかちほ)の領主・三田井(みたい)家に渡っていた。その三田井家落城のときの話である。 城が落とされ、生き残った武士が、三田井家の幼い姫君を連れて、夜の山道を逃げていた。振り返れば、追っ手はすぐそこまで迫ってきている。二人は隙を見て、茂みに身を潜めた。 しかしそのとき、武士の腰に下げていた太刀が、ぼーっと青白い光を放った。追っ手に見つかり、「もはやこれまで」と、武士は姫君と共に自刃して果てたという。 哀れに思った村人たちは、二人を手厚く葬り、祠を立てた。それが、今に続く恵良(えら)八幡神社(宮崎県五ヶ瀬町)の始まりといわれている。その後、蛍丸は阿蘇一族の元に戻り、阿蘇神宮に奉納され、国宝に指定されたが、 第二次世界大戦後に紛失し、現在も所在不明である。

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